こんにちは!非ミニマリスト フネです。
はじめての方はどうぞこちらも→磯野家の紹介
今回は片付けや収納ではなく子育てカテゴリー(中学受験)です。
2月1日は首都圏中学受験の本命校試験日でした。
磯野家でも長女サザエ、次女ワカメがガッツリな受験を経験しておりますので、特別な思いを持ちます。←あれ、カツオは?
今回はワカメの中学受験のお話。フネ自身一番キッツイ記憶なのですが、誰かの役に立つかもしれないと思い書きました。
- 2月1日から受験終了までの記録
- その後の様子
- 母どん底から立ち直った方法
- 不合格でも前向きになるための準備
- 受験について思うこと
をお伝えします。
あくまでも個人的意見とわが子に関して思うところを語っています。もし不快な気持ちになられたらごめんなさいm(_ _)m
ちなみに受験したのは数年前なので、形態や情報については違うこともあると思います。詳細は塾にご確認下さいm(_ _)m
- 【1】まわりから安定と言われたワカメの合否結果
- 【2】残酷な不合格の理由と流れ
- 【3】親子で忘れていた併願校の結果発表
- 【4】3日併願校受験~結果
- 【5】その後の立ち直れない母のどん底生活
- 【6】不合格くよくよから立ち直った考え方(母が)
- 【7】受験よりずっと前にすべき「本命校以外もいい学校だという刷り込み」
- 【8】経験を糧にするかどうかは本人次第
- まとめ
【1】まわりから安定と言われたワカメの合否結果
2月1日からの都内受験の合否は次の通り。
- 本命校2月1日:不合格
- 併願校A2月2日:合格
- 併願校B2月3日:不合格
- 併願校C2月4日:受けず
- 併願校D2月5日:受けず
ワカメはNN1組でした。
NNというのは、早稲田アカデミーで6年生から行われている志望校別の特訓コースです。御三家・駒東・渋幕・早慶系列にのみ設定されていて、成績順でクラス分けされ1組が一番上のクラスになります。
一定レベル以上の同じ学校を志望する猛者たちの中でのクラス分けなので、受験より1組に入るほうが難しいとも言われています。
NN志望校別コース 志望校別オープン模試・保護者説明会[第1回] 小5(新小6) | オープン模試・テスト | 中学受験の進学塾・学習塾なら早稲田アカデミー
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【2】残酷な不合格の理由と流れ
①2月1日受験本番朝は先生たちの激励
受験日当日の朝は、当時はコロナでもないので必ずNN(志望校別特訓コース)の先生たちが受験会場近くの集合場所を指定して、塾生全員そこを詣でて会場に向かいます。
一人一人声をかけて握手して送り出してくれるのです。
どこの塾もやるよねー、東大とか有名大学受験でもあるよねー。
コロナ禍では密を作らないように、応援はオンラインになっているみたいです。
ちなみに1組だったワカメにNNの先生が掛けた言葉は、
「お前はいつも通りやれば大丈夫だから」←若干テキトー感。超あっさり
でした。
②先生に太鼓判をいただいてしまった2月1日試験後
あまり緊張しない様子で試験を受けに行きました。
2月1日、本命校試験後の帰りには、地元の校舎に寄って先生に報告します。
ずっと指導いただいていたすごく頼れる算数の先生。厳しかったけどわかりやすかったのです。そしてワカメは算数が大得意(というか算数で苦手な国語を救うタイプ)でした。
持ち帰った試験問題(問題は持ち帰れました)に本人の解法メモをペラペラ見て、先生が放った一言。
「よし!もう帰って合格体験記を考えておけ」
その時のフネの安堵感と言ったらなかったです。←フラグピーン!
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③併願校を受験した後に合格発表を見にいく2月2日前半
2日は併願の女子校を受験です。
受験校はフネが姉サザエの受験見学時から気に入っていた中学校ですが、サザエはそうでもなくて受けずでした。
ワカメは1日本命校のことで頭がいっぱいで「どこでもいい」と言い、ならばと出願した学校です。
その試験を終え、いよいよ結果を見に学校へ。当時は掲示のみ。休暇を取っている夫波平も一緒です。
発表時間がまだだったので、すごい数の親子が指定された場所に並んでいました。
時間になり、ドキドキしながらゆっくり歩いて少しずつまえに。広い室内にパネルが置いてあり、番号が貼り出してありました。
やっとパネルの前に近づいた時、心臓が口から出そうになってて、「自分で見ておいで」とワカメを促し、夫と共に行きました。
ないで…番号もっかい見せて
一瞬何が起こったかわかりませんでした。正直あまり覚えていません。
え、いやそんなはずは、とフネも番号を照合するも、ワカメの受験番号はすっ飛ばされていました。
「しょうがないわ、帰ろう」とワカメを連れて会場を出る波平に、変わるはずのないパネルを何回も確認して少し後から出ました。
喜んでいる親子もいる中で頭の中に「あれ?」がたくさん、動画で塾からのインタビューを撮られている親子もいました。
合格者は集合写真を撮るので一箇所に集まりますが、それには幸い気づきませんでした。
そのあとどうやって帰宅したかあまり記憶にないのです。ただ、一番悔しいのはワカメなのでね。わりと親子3人平気な感じでフツーな会話をしながらフツーに帰りました。
ワカメも泣くでも怒るでも不機嫌でもなくフツー。昔からめったに泣かない子。
④泣いてはいられない2月2日後半
本命校の結果を知らせに再び校舎に寄ります。
暗黙の了解として、合格した子は校舎には寄りません(電話報告のみ)。塾は不合格の塾生に全力対応するからですし、かちあっても気まずいこと限りなし。
校舎には事前にそれぞれの受験校と受験番号を報告しなくてはいけないので、わかっていたのだと思いますが、ワカメの不合格を知らせたときには先生(昨日の算数の先生ではなく普段教わっていない教務主任の先生しかいなかった)は驚いていました。
で、3日受験校の過去問をめっちゃコピーして渡してくれたのを覚えています。
その学校ワカメはあまり興味なく、過去問解いたことなかったので( ̄▽ ̄)。日程空いてるし出願しとこうか的な。
本当に今から思えば「やっちまったなぁ」ですが、1日本命校に向けてやっていればあとは受かる、という感じで追い込んでいたので。
帰宅したあと、ワカメは死んだように寝ていました。
そして、その間にフネは突然気持ちが切れて大泣きしました。あんなにおいおいと泣いたの、人生で二回目。一回目は高3年の合唱コンクールで優勝した時のうれし涙
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【3】親子で忘れていた併願校の結果発表
①昼寝のあとは早速過去問2月2日夕方
受験って1月(埼玉・千葉)から始まり、都内開始の2月1日を迎えたらあとはひた走るシステム。
合格を得るまでは休めないのです。連続日程なのである意味大学受験よりキツイ体力勝負。
というわけで、爆睡の昼寝(夕方寝)から起きたワカメは早速塾でもらった過去問を解いていました。とにかく出題傾向に慣れなくてはいけません。
偏差値・倍率は高いですが問題が難問ではないのでミスが命取りです。どこの学校にも言えることですが、ここを第一志望として目指してくる猛者がいるのです。
②併願校の結果発表があった2月2日夜
夕飯を食べ、一緒にお風呂にはいっていたら夫波平がお風呂場に通じるマイクで、
なぁ、◯◯(2日併願校)の結果8時ちゃうん?
と。
ひぇぇぇぇ!!すっかり忘れていた( ̄Д ̄;)
ネット発表だったぁ!←とっくに8時半
それくらい、フネもワカメも普通ではなかったんだと思います。
なんか、ずっと送迎したりお弁当届けたり母娘で頑張ってきたのに合否を波平に先にみられるのは悔しくて、
「絶対待っといて!すぐあがるからっ」
と急いでお風呂からあがって波平が用意してくれていた合格発表の画面をワカメとポチッ。その学校は番号を入力するのではなく、合格者一斉番号掲載でした。
\合格/
ありました、番号…良かったです(┯_┯)
③2月2日受験はレベルが上がる
2月1日・2日・3日などと複数日程を組む学校があります。1日に本命を受けたよりレベルの高い受験生を取り込むためです。
1日は本命の子が受験しに来るので合格者数も多めですが、それ以外の日程は少なめ。倍率は一番高いです。
しかも、2月2日は1日の押さえとして併願でこぞって来るので一番合格ラインが高くなります。御三家レベル組との闘い。
なので本当にホッとしました。
3日校は結果が遅めなのでそれまでに〆切。とっとと入学手続き、入学金の振り込みに行った覚えがあります。
次は未知数の2月3日校です。
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【4】3日併願校受験~結果
①2月3日受験と会場で見かけたNN1組の女の子
ああ、まさかここを受けることになろうとは…。←母
付け焼刃的な対策をして受験会場へ。試験を終えて帰る時に、ワカメが、
◯◯さんがいたよ、同じNN1組の子。
と言いました。
え?1組常連の女の子でした。ということは、その子も残念だったのか…。受験て水物と改めて思いました。←向こうも思ってるやろな
②受験に終止符を打って天ぷら
帰りに都内で天ぷら食べて帰りました。2日校に合格したことで、とりあえずもう受験はオワリ。ハレバレでした。
試験はあまり難しくなかったようで、ご飯食べながら得意ではない社会とか答え合わせしたら満点のようでした。
お、意外といけるんでは?←お母様4科目ございます
③2月4日・5日併願校は受けない決断
何があるかわからない中学受験。インフルエンザになるかもしれません。
ということで4日、5日にも女子校に出願していましたが、本人が
もういい、学校に行きたい。
と言うし、本人の希望や大学進学を考えても(←できれば考えたくなかった母)2日併願校がいいと思っていました。
ちなみに塾は「出願したなら最後まで受けなさい」と言いますが、全く気にせず。塾は当然合格者数を増やしたいのですが、出願料払ったのうちだし、受けるの本人だし。
ただ、合格数(合格証ってやっぱり嬉しいですよね)を増やすことは本人が頑張った数少ない目に見える成果でもあるので、せっかくお金を払って出願したのなら受けるのもアリだと思います。←ただ合格すればその分補欠になる人もいる
ワカメは学校大好きっ子。勉強はあまり好きではないらしい。←そもそも論
嬉しそうに4日から学校へ。
④結局3日校は不合格
そうなんです。やっぱり甘くない。緊急的対策及ばず不合格でした。
この学校は問題の難易度がそれほど高くないので満点勝負、おそらく原因は国語です。ずっと苦手な国語を得意な算数で補っていたツケです。算数が簡単なら差が付きません。
ということで正式に2日に合格をいただいた学校に決まりました。
こうやってワカメの中学受験は終わりました。
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【5】その後の立ち直れない母のどん底生活
実はこのあとが本当にきつかったのです。
まさに、本当の悲劇はここからってやつです。
ワカメは親から見る限り受験が終わったことに喜んでいる様子で、学校の友達とも思う存分遊べるし、通塾はなくなり家でご飯が食べられるし、普段通り明るく元気でした٩( ᐛ )و
もうちょっと反省せいやっ、と思ったほどです。
そう、母だけが勝手に落ち込んでいたのです。
①NN2組のお友達は合格していた
同じ塾の2組のお友達は合格でした。ずっと一緒に都内NNにも通っていました。
そういうことは覚悟していたものの、ワカメの気持ちを考えると本当にキツかったです。
一番かわいそうに思ったのが、受験期間が一段落ついた頃、各々の私立中学に進学が決まった卒塾生向けの入学前講習が開かれた時の話。
その子が教室に入ってきたときにみんなで拍手したそうです。(ほかの第一志望校に受かった子もそうだったと思いますが)。先生に言われたわけでもないのに、一緒に受験を戦ったお互いの健闘をたたえるって本当に素晴らしいと思います。小6ですよ。
おめでとう、すごいー!とワカメも笑顔で拍手したそうですが、その話をワカメから「今日すごかったんだよー(←わりと楽しそうに)」と聞いてまたあとから泣けました 。そしてわが子ながら「コイツ偉いな」と思いました。
②毎日のように届く合格速報のチラシ
当時頼まれて新聞をとっていたんですよね。←あるある
この時期は塾にとっても「次の生徒獲得大作戦」の時期です。
御三家◯人!早慶◯人!と大きく載せたチラシには合格体験記もたくさん。
早稲アカのチラシには必ずピースをした合格者の集合写真も載っていました。
それを見なきゃいいのに見てしまうのです。中学受験は高校受験ほどオープンではなく、他塾や小学校の子の情報は洩れないので、誰か知ってる人載ってないかな、とか。
ただ、それを見るたびに「本当はここに載るはずだったのにな」とくよくよ考えてしまうのでした。
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③もっとしてあげられたのではないかという後悔
中学受験経験者のフネです。自身も6年生の日曜は昼・夜とお弁当で結構ガッツリと塾に通い、受験したのでした。
でも、学校を休んだのは受験当日のみでした。それが当たり前だった。
磯野家の子供たちもどんな時も受験だけにかかわらず「まずは学校ありき!休まず行こう!」をモットーにして育てました。
でも、2組から合格した子を含め同じ塾の何名かは3学期は学校を休ませて家で勉強させていました。インフルエンザ対策でもあります。
だから不合格だった時は、「うちも休ませた方が良かったのではないか」「この差が合否を分けたのではないか」と思ったのです。
そう思うととてもワカメに申し訳ないと思いました。自己嫌悪だらけでした。
また、親によっては間違えた問題をノートに起こして『復習ノート』を作ったりするのですが、3人の子育て家事で忙しくそんなことは一度もしませんでした。
本人がすれば一番いいのですが、正直そんな暇はないくらいの課題量なのです。ちなみに姉サザエの時もそんなもん作りませんでした。
第一志望校に合格していたママたちが復習ノートを作ったかは知りませんが、少なくともわが家よりは時間管理・ブドウ糖補給など細やかなサポートをしていました。
フネはお弁当と車での送迎、プリントの整理(散らかるのがいやなので)だけです。電車に慣れていたので何なら都内の模試(合格判定模試や四谷公開テスト)も一人で受けに行っていました。(ほとんどの家庭は親がついていく)
「もっと親としてできることがあったのでは」
ふとした時にそんなことを考えてしまい、急に涙が出てきたり、鬱みたいに落ち込んでいました。
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【6】不合格くよくよから立ち直った考え方(母が)
①一体自分は何が悲しい悔しいのかを考えてみた
さんざん泣いたりくよくよ考えたりした2月でしたが、ある日こう思いました。
「本人は気にしてないのになんで私こんなに引きずってるんやろ。」
そうなんです。ワカメは終わったことが嬉しいのかもともと明るいからか、ちっとも気にしてない様子。何部に入る?やっぱダンス部だよねーと前を向いていました。
それに比べてこの母(´・ω・`)
冷静に、何がそんなに悲しいのか悔しいのか、考えてみました。
恥ずかしいけど正直こんな感じです。
- ずっとずっとあんなに頑張ってきたのに落ちた
- 合格体験記に載るはずだったのに載れなかった
- 太鼓判を押されたのに落ちた
- 2組の子が受かって1組のうちが落ちた
- 学校を休ませなかった差で落ちたのかもしれない
- 周りから「いいねワカメちゃんは安心で」と言われていたのに落ちた
もう一度よく考えてみました。自分の中で実は思っていたこと、思わないようにしていたことも掘り出して。
- ずっとずっと頑張ってきたのに落ちた→残念だけど努力が足りなかった
- 合格体験記に載るはずだったのに載れなかった→ただの親のプライド
- 太鼓判を押されたのに落ちた→ずっと指導してた先生の方が多分ショック
- 2組の子が受かって1組のうちが落ちた→彼女の方が正直頑張っていた
- 学校を休ませなかった差で落ちたのかもしれない→休まず合格している子はたくさんいる
- 周りから「いいねワカメちゃんは安心で」と言われていたのに落ちた→これもちっぽけな親のプライド
②うちの子だけじゃなくみんな頑張っている事実
頑張ってきたのは本当です。でもみんな頑張っているんです。
そして当日の問題との相性や出来は誰にもわかりません。ただワカメは自分でわかっていたのかも、試験後あまり元気がなかったです。
そして避けてたけどよくよく考えたら、本当に誰にも負けないくらい頑張っていたか、と母の心に手を当てたら答えはNOなのでした。
あんなに頑張っていた→周りはもっと頑張っていた
ということだと思います。
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③先生は一生懸命やってくれた
太鼓判押した先生こそたまげたことでしょう。3年間みっちり指導してくれ、期待もしてくれていました。
そりゃ元気のなかったワカメが「合格体験記」発言で元気になりましたけどね。うん、正直そりゃちょっと「まじかよ」でしたが。
今から考えると先生が試験後チェックしたのは算数。算数が時に塾の先生をも悩ませるほど難しい学校だったので、いつも通りの算数の結果が出せれば大丈夫だと思ったのでしょう。だから算数は出来ていたのだと思います。問題は多分国語よね( ̄ー ̄)
NNでも的確な指導も受けていたと思います。やるべきことは伝えられていました。それをやるかやらないかは本人なのです。
④志望校別コースのトップでも落ちるし2組でも3組でも受かる事実
これもよくわかっています。
姉のサザエ(1組未経験)で経験済みなのです。姉は日能研でしたが、合格者に1組の人がすごく少なかったそうです。
だからこうなることがあることは重々わかっていました。
⑤NN1組の慢心と2組の努力
実はずっと危惧していたのが「慢心」。試験前に心配だとNNの先生にも伝えていました。
1組にいるのが普通になり、先生から受験までに「3周やりなさい」と言われた算数の問題集を算数が得意なワカメはたしか一度しかやりませんでした。
合格した2組の子はたしか5周やったのでは。「私はやばいから」とたゆまぬ努力をしていました。
自分は大丈夫、という思い上がりと油断がウサギとカメになったのです。
もしくはその分苦手な国語をもっと人の何倍もやりこまなければならなかったのかと。
⑥半分は単なる親のちっぽけなプライド
そうなんですよね、スンマセン。半分以上なのかもしれない。
今まで何かとうまくいくことが多かった娘だったので、私が単に「お子さんすごいねー」と言われたかったんですよね。合格体験冊子にも特集なんぞ組んでもらって顔バーンと出ちゃったらどうしよう、なんていう妄想を勝手に思い描いていたんですよね。
そして周りから期待されていたのに落ちたことを恥ずかしいという思いもありました。
でも恥ずかしいなんて失礼も甚だしい。自分はやってもないのに。頑張ってきたから2日校も合格がいただけたのです。
何より、塾行ってない人ってあんまり誰がどことか興味ないし。御三家でも開成くらいしか学校名も知らんし。
子供が褒められて嬉しくない親はいません。でも、子供は親の自慢のために受験するのではない!!!
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【7】受験よりずっと前にすべき「本命校以外もいい学校だという刷り込み」
①「合格した学校が良い学校です」
こんなにひとり落ち込んだフネですが、4・5年生あたりで見学などしながら決める志望校選定の時から心がけていることがありました。
それは、絶対に本命以外も褒めたたえ勧めること。マイナスなことは言わないことです。
ここの学校は校舎がキレイだったね。
ここの学校はダンス部がすごいんだって。
ここの学校にはアイスの自販機あるよー!!←ワカメポイント高
通いやすい・制服が可愛い・偏差値のわりに進学実績がいい・こんな特殊な授業や課外・クラブがある、などなど。
私立って様々な特徴があり、努力もしていて、いい学校いっぱいなのです。
何が起こるかわからない受験。ご縁のあるところに決まると思って、どこに決まっても娘が喜んで行けるように普段から声掛けしておきました。
その甲斐あってか、実際ワカメはあまり落ち込まずむしろ喜んで制服の採寸などに行っていましたよ。
間違っても「絶対◯◯に行こうね!ここしかないよね!」とかないし。ダメ。
そういえば引っ越す前カツオの同級生のママが「開成落ちたら一緒に死のう」と泣きながら言ってたのが聞こえたとマンションお隣のママが…。←受かったけどその後の成長が心配
②経験はいいも悪いも含めて宝物
というわけで、「よく考えたら大したことないわ、いい学校に行けるし。本命落ちたのは縁がなかっただけ」と急にスッキリしました。
今まで何でもうまくいっていたワカメには特にいい経験になりましたし、フネは「自分のちっちぇー人間」を反省する機会に。親も成長するのです。
今でもワカメは塾の先生に会いに行ったりします。
親同士は実は通塾中は送迎くらいでそんなに交流がなかったのですが、卒塾後会うようになり、今でも定期的にお茶し老後の相談(リアル)とかする仲良しです。
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【8】経験を糧にするかどうかは本人次第
①努力は裏切らないのか論争
「努力は人を裏切らない」
というけれど、オリンピックとか見たら本当にみんな頑張っているので正直わかりません。っていうか見事に裏切ることだってある。
「結果が出なかったらそれは努力が足りなかったから」
と林先生がテレビで言っていました。勉強に関してはそれはそうなのかなと思います。うちの場合は。ただ一定数とんでもない”デキる子”はいます。授業中隠れてゲームしてて東大にいってましたよ。
②受験は運より縁だと思う
相手はもっともっとやっていたのかいなかったのか、運不運もある世界だと思います。特にオリンピックなんかは。受験では問題傾向とか天気とか。
縁がある学校に決まるんだよ、とよく言ってました。だから本人にとってはそこが良かったのだと思います。今でも。
③次は大学受験が待っている
とにかく第二志望の中学校に進学したワカメです。
高校はそのまま進学するので、次の受験は大学受験。
卒塾の挨拶の時に塾の先生からは「お前に◯◯(私立)はもったいない、◯◯(国立)を目指せ」と言われていましたが、果たしてどうなるのか。
この経験を糧にできるのかワカメ。
つづく。
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まとめ
毎年2月1日は特別な思いがあります。今年も朝のニュースでつい手を止めてしまいました。そしてインタビューに答える中学受験生の健闘を祈っていました。
他人事とは思えない。
いや他人事でないのはむしろ受験生の親御さんの方。今年はさらに感染力の強いコロナ禍での受験、ご苦労もそれはそれは大変だったと思います。本当にお疲れ様でした。
わが家の中学受験は過去のことなので、
- 第二志望校(進学校)に入学したあとの学校や本人の様子
- 併願で入ったら成績はラクして取れる?
という続きをおいおい書きます。いやほんと、磯野家苦労と心配は尽きない子育てです。
超長くなったので塾がどうだったかの話は分割しました。これでも。
姉サザエバージョンもお伝えします。合格したからいいってわけでもないんだよ、という話。
ながながとお付き合いいただきありがとうございましたm(_ _)m
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